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大阪高等裁判所 昭和41年(う)1285号 判決 1970年1月30日

主文

被告人脇田勝之に対し本件控訴を棄却する。

原判決中被告人堀田彦次郎に関する部分を破棄する。

被告人堀田彦次郎を罰金五万円に処する。

被告人堀田彦次郎において右罰金を完納することができないときは、金五百円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。

理由

本件控訴の趣意は、被告人脇田の弁護人幸節静彦作成の、被告人堀田の弁護人毛利与一、同増井俊雄連名で作成の各控訴趣意書記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。

控訴趣意中弁護人幸節静彦の事実誤認の論旨について。

所論は、要するに、原判決は、判示第五の事実として、被告人等が岸和田木材コンビナート建設に関して行なわれる中央官庁の係官等の接待費ならびに大阪府農林部林務課員の飲食費等の支払に充てるため、大阪府木材需給対策協議会と称する名目のみの団体を仕立て、木材需給を図るための諸調査、木材産業振興のための各種施設の企画設計、木材の有効且つ合理的な利用を図るための教育、指導、宣伝を行なったり、そのための会議を開催したりするものでないのに、そうした事業や会議を行なうもののように装い、昭和三八年六月中に、大阪府出納長から大阪府木材需給対策協議会分担金名義の下に五〇万円を騙取した旨認定しているが、右協議会は実在の団体で、岸和田木材港建設の促進を図ることを主たる目的として設立されたものであって、したがって右協議会の当面の主要活動は中央の関係官庁の係官等に対する陳情等の運動を行なうことであり、右協議会の会員は右運動を行なおうとし、そのため必要な諸費用に充てるために大阪府出納長から金五〇万円の交付を受けたものであって、被告人等は何等の欺罔手段をも行使しておらず、この点について原判決には事実の誤認があり、被告人等の所為は詐欺罪を構成しないものである、というのである。

よって案ずるに、まず、大阪府木材需給対策協議会(以下協議会という)が設立されるに至るまでの経緯として、原判決挙示の判示第五の事実に対する各証拠を総合すれば、次のような事実が認められる。すなわち、大阪府を中心としその近郊を含む地域における木材の需要は年々増大し、内地材および移入材によって賄いきれず、外材の輸入が年々増えて来ていたが、そのためには港湾施設、貯木設備が次第に狭くなって来ていた。このような時大阪市の港湾計画、都市計画により、従来同市大正区小林町および千島町近辺に集っていた材木業者が同所を立退き、同市住吉区平林町に移転することになり、同所に貯木場が作られたが、将来の木材需要の増大、外材輸入の増加を考慮すると同所も狭く不十分であるため、大阪市の木材業者等は港湾施設、貯木設備の拡充強化を大阪市および大阪府に陳情していた。その結果ようやく昭和三七年四月ごろ大阪府において岸和田市周辺に木材港および貯木場を中心とする木材コンビナートの建設に踏切ったが、その建設計画によれば、その予算総額は八〇億円で、そのうち木材港が二五億円、貯木場等の貯木設備が五五億円であったが、二五億円については四割の国庫補助を受けることができ、五五億円については四五億円を起債によって賄う予定であった。そこで、木材港の建設については全国港湾五ヵ年計画が既に昭和三六年から発足していたため、昭和三八年度に右計画に組み入れてもらう必要があり、又起債については認可を受ける必要があった。そして大阪府内部においては右木材コンビナート建設の中心となる主管部局として農林部林務課が担当することになり、林務課長以上林務課係員は港湾整備の関係で運輸省港湾局計画課、林野庁材産課等に、起債の関係で大蔵省地方資金課、自治省地方債課等に度々赴き、折衝に当っていたが、木材コンビナートの建設は木材業者にとっても重大な利害関係をもつものであるから、昭和三七年七月ごろ大阪府木材業組合連合会の内部に大阪木材港建設委員会を設け、相被告人堀田彦次郎が委員長に選ばれ、委員には各種木材業者の団体の代表一九名が就任し、いわゆる岸和田木材コンビナートの建設につき大阪府を側面から援助し、その完成を促進することになった。そのために木材港建設委員会の委員も前記中央官庁に陳情し大阪府に協力することになったが、それらの諸費用を賄い、さらには林務課の係官が上京し、中央官庁の関係係官と折衝する際の諸費用等の援助とするために、委員から一人当り二〇万円を集め、その他寄附金、拠出金をあわせ約五〇〇万円の資金を準備し、堀田委員長等から被告人脇田に林務課員の前記諸費用に対する援助方を申し入れた。かくて、昭和三七年七月ごろから同年一二月ごろまでの間に被告人脇田が前記費用等すなわち、接待費用、手土産費用および林務課員の慰労のための遊興飲食費にあてるため木材港建設委員会から受領した金員は七〇万円を越える額に達し、その他にも上京した際に接待のために使用した料亭等の遊興飲食費が料亭等の請求により右委員から直接支払われたものもあった。このような情況から、当時の林務課長辻本豊七は、将来も従前と同様の接待や遊興飲食を続けて行く積りであるが、も早そのすべてを木材業者にのみ頼るわけに行かないので、それらの資金を捻出するため大阪府の予算を獲得しようと考え、同年暮の予算要求の際に、被告人脇田に対し「今迄業者に費用を出させているが、業者ばかりに出さすのは具合が悪い。半分は予算から出してもらい、半分は業者に負担させるようにしよう」とその意向を伝えると共に、「予算を五〇万円獲得するから名目のたつように形式を整えるように」と命じ、そのころ農林部長播磨重男に右予算の獲得についてはかったところ、同人も木材コンビナートの建設は大阪府の事業であり右事業に関し常に業者に金を出さすことは適当でないと考え、これに賛意を示し、予算の獲得を指示した。そこで辻本林務課長は大阪府総務部庶務課予算係員石井栄三郎に折衝し、木材業界との意思疎通をはかる目的の協議会に対する補助金として五〇万円の予算枠をとりつけ、右予算案は昭和三八年二月ごろ府議会を通過した。他方、被告人脇田は前記辻本課長の指示に基づき種々検討した結果、なるべく旅費、会議費、調査費が多くとれる協議会が適当であり、その名称を木材需給対策協議会とすることにして、辻本課長に報告し、その了解を得、同年三月ごろ大阪府木材業組合連合会会長今木善助に会って右協議会を設置すること、右連合会からも分担金五〇万円を負担してもらいたい旨申し入れ、同年五月一日に開かれた右連合会の総会の結果その承諾を得ると共に、被告人脇田において今木会長から知事宛の木材業者から右協議会の設置を要望する旨の陳情書を作成して同会長の捺印を求め、さらに右協議会の会則、事業計画書、役員名簿等を作成し、何等右協議会の設立総会が開かれていないのに拘らず、恰かも右設立総会が開かれ議事が進められた如き内容の設立総会議事録を作成した。そして以上の事実は林務課課長代理であった原審相被告人実原文雄および同課庶務係長井上武彦等も十分にこれを諒承しており、必要に応じて相談にのるなど協力をしていた。というのである。

つぎに、木材需給対策協議会(以下協議会という)の資金の使途についてみるに、前掲各証拠によると、辻本課長が林務部次長に転出したことに対する餞別として五万円、井上庶務係長が東京事務所に転勤したことに対する餞別として五〇〇〇円、林務課員の年末賞与として九万二千円、林務課長交替による事務引き継ぎのため鳥取県の皆生温泉に辻本次長、児玉課長、被告人が一泊旅行した費用および辻本次長のバー藤田における遊興飲食代の支払のため一三万円、岸和田木材コンビナートの建設に関し接待のためおよび林務課員の慰労のための遊興飲食費として三〇万円、被告人脇田が鹿児島に出張する際の費用として三万円、東京へ出張した帰途被告人、辻本次長、児玉課長、大阪府総務部庶務課石井主幹等が湯河原温泉、熱海富士屋ホテルに宿泊した際の諸費用として合計八万円を使用している事実が認められる。

そこで、以上認定にかかる各事実によれば、協議会を設置するに至った真の意図が、岸和田木材コンビナート建設促進のための関係官庁等の係官の接待費、林務課員の慰労のための遊興飲食費を含む如何なる用途にも予算上の一切の拘束をはなれ林務課長の承認だけで自由に支出しうる資金のプールを作るため、その名目としてのみ設置されたもので、したがって、当初から前記会則および事業計画書に記載されているような事業(その内容は後記のとおりである)を全く実施する意思がなかったものであることは明らかであって、もとより一旦設置された協議会の資金をたまたま当初の意図と全く別な使途に流用したというものでなく、前示のような使途が当初からの目的であったことも言うまでもないところである。

ところで、所論は、岸和田木材港建設促進のための運動が、協議会の主要な事業であり活動内容であり、木材需給の対策の最も重要なものであり、前記のような費用の支出は、いずれも、右の趣旨に則った支出であると主張し、原審証人の播磨重男は、さしあたりは協議会の主要な目的は木材港建設の促進であると考えていた。会則には明示していないが、当然のこととして含まれると考えている。木材港建設を促進するために使用せられる費用は右協議会から支出してよいと考えていた旨供述し、所論に沿うような証言をしているのであるが、協議会の会則第三条によれば本会は木材需給の均衡と価格の安定を保ち木材産業の発展を図ることを目的とする。と定め、第四条によれば本会は前条の目的を達成するため、次の事業を行う。一 木材需給に関する調査研究、二 木材産業発展のための施設の企画設計、三 行政庁の諮問に応じ又は意見の開陳、四 その他本会の目的達成に必要な事項。と規定されており、さらに事業計画書によれば、事業費として四〇万円を計上し、事業内容として1、調査企画「木材の流通状態を的確に把握し需給の均衡を図るため行う諸調査及び木材産業振興のために行う各種の施設の企画設計」、2、啓蒙宣伝「木材の有効且つ合理的な利用を図るための教育、指導及び宣伝」とされ、会議費として三〇万円を計上し、その内容として協議会の総会、協議会、行政庁関係団体との連絡、協議会とし、事務費として三〇万円を計上し、旅費、印刷製本費、消耗品費、通信運搬費、雑費が内容となっているのである。もとより右事業計画書はあくまで計画書であって、実施に際しては会則に定められた目的および事業に反しない限りその内容の変更が許されることはいうまでもないところである。以上によれば協議会の主要な目的が木材港建設の促進であるとは全く窺われず、当然に事業内容に含まれるとも認められない。しかしながら、木材港建設の促進が事業内容の一つとして含まれるものであったとしても、右促進の手段、方法について役員が集り協議するとか、関係官庁に意見を開陳をするというのであれば格別、中央官庁の係官に対し社交的儀礼の範囲をこえるような饗応接待をすることまでもその事業内容であり、右接待費用の支出が協議会として適法な費用の支出であるとは到底考えられない。まして林務課員の慰労のための遊興飲食費、同課員に対する年末賞与等の支出が木材港の建設促進に関係があるとしてこれを適法である、とすることができないことは勿論である。したがって右所論は失当であり到底採用することができない。

なお、木材需給統計資料なる資料が協議会名義で作成されており、右資料の作成が事業内容に相応しいものであることは言うまでもないところであるが、右統計資料は需給対策協議会の名目を維持するために、予算が残り少くなった段階で実原課長代理の発議によって作ることになったもので、表面上は大阪府森林組合連合会に委託して作成し、その委託費三〇万円を同連合会に支払ったようにされているが、真実は被告人脇田が林務課員谷原長武に命じて合板検査所、南洋材検量所、造船所、車両会社、製材所等を実地調査させ、その結果と営林局、林野庁、運輸省等の資料から被告人脇田のもとで集成したものであることが前掲各証拠によって認められ、右資料の作成された事実は何等前記協議会設置の真の意図の認定を妨げるものではなく、むしろ、右三〇万円について架空の支出の証票を作成したことは、前記のような被告人脇田等の意図した使途が予算の支出として許されないものであることを裏代けているのである。

しかして、被告人脇田等は、前示のとおりの真の意図を秘して、同年六月下旬頃「大阪府木材需給対策協議会分担金の支出について(伺)」と題する支出命令伺を起案し、同協議会会長今木善助名義の右分担金交付申請書と共に前記会則、事業計画書、内容虚偽の設立総会議事録写を添付し、右支出命令伺に辻本林務課長において農林部長の代決をして、右分担金五〇万円の支出命令をしたうえ、事前審査のため大阪府出納長の下に提出し、さらに支出承認を得るため支出伺と共に大阪府出納長の下に提出したことが前掲各証拠によって認められ、そして通常出納責任者としては右のような場合被告人等が協議会を設置するに至った真の意図を知り、協議会が真実会則および事業計画書に定められたような事業を実施せず、分担金はそのために使用されるものでないことを知ったならば、たとい被告人等の意図する使途が究極において貯木場整備の推進につながるものであったとしても、支出を拒否するであろうことが明らかである。したがって、被告人等の前記所為が詐欺罪を構成する欺罔行為として間断のないことは明らかであって、この点に関する所論は理由がない。

控訴趣意中弁護人毛利与一、同増井俊雄の控訴趣意第一点訴訟手続の法令違反の論旨について。

所論は、原判決には、開廷後裁判官がかわったにもかかわらず、公判手続を更新しない違法がある。すなわち本件被告事件に対する第二乃至第六回公判は石原武夫、森岡茂、藤原禎二の三裁判官からなる合議体によって、第一八乃至第四五回公判は石原武夫、森岡茂、田中宏の三裁判官からなる合議体によって審理されているが、その間に公判手続を更新した旨の公判調書の記載がなく、したがって公判手続を更新していない違法がある、というのである。

よって、まず、本件記録によって被告人堀田に対する贈賄被告事件の審理の経過および審理の概要をみると、第一回公判は昭和三九年一二月一日に開かれ、人定質問が行なわれたのみで続行され、同年同月同日期日外で右被告事件を合議体で審理する旨の決定がなされ、第二回公判は昭和四〇年四月二六日開かれ、人定質問の上、被告人西本嗣、同喜田平太郎に対する贈賄、収賄被告事件に併合して審理する旨の決定がなされ、右被告人西本嗣等に対する被告事件の第三回公判が同日開かれ、被告人堀田に対する被告事件を併合の上、起訴状の朗読と被告事件に対する被告人堀田および同弁護人の被告事件に対する陳述が行なわれて続行となり、続いて第四回公判が同年五月一〇日開かれ、検察官の冒頭陳述および証拠申請と右証拠に対する認否が行なわれた上続行となり、第五回公判が同年同月一七日開かれ、一部の証拠に対する証拠採用決定および証拠調と証拠物の領置が行なわれて続行となり、第六回公判が同年五月二四日開かれ、検察官申請の証拠に対する弁護人の認否および一部の証拠の採用取調がなされた上、被告人堀田、相被告人脇田、同実原、同中路に対する被告事件が分離され、分離された右各被告事件について第一八回公判が同年九月一〇日に開かれたが、被告人および弁護人等が不出頭のため変更され、続いて第二〇の二回公判が同年九月一七日開かれたが、その冒頭において被告人堀田と相被告人中路に対する被告事件がそれぞれ分離され、第四四回公判が昭和四一年三月一七日開かれ、検察官申請の証拠に対する否認、証拠の採用決定と取調、弁護人申請の証人の取調、被告人堀田の供述が行なわれた上続行され、第四五回公判が同年同月二二日開かれ、被告人堀田の供述と検察官の論告、求刑および弁護人の最終弁論と被告人堀田の最終陳述が行なわれて弁論が終結され、第五二回公判が同年四月二八日開かれて判決の宣告がなされたことが認められ、つぎに、合議決定後公判審理に当った合議体を構成した裁判官をみるに、第二回公判から第六回公判までは石原武夫、森岡茂、藤原禎二の三裁判官であり、第一八回公判から第四五回公判までは石原武夫、森岡茂、田中宏の三裁判官であることが認められ、以上によると第一八回公判以降合議体を構成する裁判官が藤原禎二から田中宏にかわったのであるから、第一八回公判以降更新手続の可能である第二〇の二回公判あるいは第四回公判において公判手続を更新すべきものであることは所論のとおりである。しかるに、第二〇の二回公判以降の各公判調書をみても公判手続を更新した旨の記載が存在しないこともまた所論のとおりである。しかしながら、公判期日における訴訟手続で公判調書に記載されたものについては反証をあげて争うことは許されないが、公判調書に記載のない事項については、当然に存在しなかったものということはできず、他の資料によってその存否を決することが許されるのであり、これを本件についてみると、裁判官田中宏は第一八回公判以降第四五回公判における弁論の終結に至るまで終始本被告事件の審理に関与し、ことに第四四回および第四五回各公判は本件審理において実質的にその中心をなす実体審理であると認められ、その間被告人からも弁護人からも何等異議のあったことも認められないこと(昭和三〇年一二月二六日最高裁判所判決、九巻一四号三〇二五頁参照)、さらには、第一八回公判以降の被告人脇田、同実原に対する被告事件の審理をみると、第二二回公判(昭和四〇年九月二四日)において裁判官藤原禎二が裁判官田中宏にかわったことに基づく公判手続の更新が行なわれ、それ以降、第二四回公判(同年一〇月一日)、第二六回公判(同年一〇月一五日)、第二八回公判(同年同月二二日)においてもすべて公判手続の更新が行なわれており、また、被告人西本嗣に対する第一五回公判(昭和四〇年八月二二日)においても、裁判官藤原禎二が裁判官田中宏にかわったことに基づく公判手続の更新が行なわれ、それ以降においても、第二五回公判(同年一〇月四日)、第二七回公判(同年同月一八日)、第二八回公判(同年一〇月二五日)、第二九回公判(同年一一月一日)、第三〇回公判(同年同月八日)にいずれも公判手続の更新がおこなわれていること等からみると、第一八回公判以降で実質審理の行われた第四四回公判に更新手続が行なわれたが、公判調書にその記載を遺漏したものと認めるのが相当であり、この点に関する論旨は理由がない。

控訴趣意中弁護人毛利与一、同増井俊雄の控訴趣意第二点訴訟手続の法令違反の論旨について

所論は、原判決の挙示する証拠中小林正子の司法警察員に対する供述調書、安達加寿子の検察官に対する供述調書、川上恭子の司法警察員に対する供述調書は、いずれも、原審において証拠として採用する決定も証拠調もされていない。しかるに原判決が右各証拠をもって罪となるべき事実を認定した違法があり、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

よって案ずるに、本件記録によれば、右供述調書三通は、第四回公判期日(昭和四〇年五月一〇日)に検察官からの証拠調の請求がなされ、第六回公判期日(昭和四〇年五月二四日)に弁護人大井勝司はこれらを証拠とすることに同意したことが認められるが、右各供述調書を証拠として採用する決定および取調がなされたことを窺せるに足る事跡は全く存在せず、右各供述調書に対する採用決定および取調がなされなかったことは明らかである。(もっとも、右供述調書三通は、被告人脇田、同実原に対する詐欺被告事件の第三七回公判期日において証拠決定および証拠調がなされ記録四一一五丁、四二一六丁、四二五〇丁にそれぞれ編綴されている。)したがって、原判決が適法な証拠調を経ない右供述調書三通を事実認定の証拠として挙示したのは訴訟手続の法令違反に該当することは所論のとおりであるが、右証拠の外に何等の証拠も存在しない場合は格別、適法に証拠調を経た原判決挙示のその余の証拠のみによっても被告人堀田に対する判示犯罪事実が優にこれを肯認しうることは、後記弁護人毛利与一、同増井俊雄の控訴趣意第七点に対する説示のとおりであるから、右の違法は原判決に影響を及ぼさないものである。この点に関する論旨は理由がない。

控訴趣意中弁護人毛利与一、同増井俊雄の控訴趣意第三点訴訟手続の法令違反の論旨について。

所論は、原判決は宮崎雍仁の司法巡査に対する昭和三九年七月二三日付および同年同月二七日付供述調書、同人の検察官に対する供述調書を証拠として挙示しており、右証拠については弁護人も証拠とすることに同意しているのであるが、被告人堀田において公訴事実を否認していることが明瞭である以上、弁護人の同意があったとしても、裁判所は弁護人とは別に被告人に対し同意の有無を確かめなければならず、被告人の同意の有無を確かめた事跡のない弁護人の同意は無効であり、結局原判決は証拠とすることに被告人が同意しない供述調書を証拠として採用した違法がある、というのである。

よって案ずるに、本件記録によれば、原判決が右供述調書三通をいずれも証拠として挙示していることおよび第四四回公判期日において弁護人が右供述調書三通につき証拠とすることに同意していることが明らかである。そして、弁護人は被告人のため包括代理権を有するものであるから、被告人の明示の意思に反しないかぎり、弁護人も証拠に対し同意をなしうると解すべきであるから、本件における弁護人の同意が被告人の明示の意思に反するか否かについて検討するに、第三回公判期日において被告人堀田は被告事件に対する陳述として「贈賄の公訴事実については別にまちがいありません。ただ供与した趣旨については、脇田が中央官庁に陳情に行くための費用を援助するために渡したものである。」と述べており、さらに、第四四回公判期日において弁護人の質問に対して被告人堀田は「府の係官が陳情のため上京するについて金の要求があれば出してやれということが委員会で決っていたので要求があれば出してあげようということです。」「こういうことが贈賄になるということを初めて知って……。」と述べているのであり、これと宮崎雍仁の前記供述調書三通を対比して考察しても、弁護人が右供述調書三通を被告人の明示した意思に反して同意したものと認めることはできず、また、弁護人が右証拠に同意した後に、被告人において即時これを取消したような形跡も記録上認められない以上右弁護人の同意は被告人の同意として有効であると解するのが相当であって、この点に関する所論は採用できない。

控訴趣意中弁護人毛利与一、同増井俊雄の控訴趣意第四点審理不尽の違法の論旨について。

所論は、要するに、本件において被告人堀田が贈賄であることの趣旨を争っている場合においては、収賄者の供述調書の取調あるいは収賄者の証人調がなされるべきであり、これをしなかった原判決には審理不尽の違法がある、というのである。

よって案ずるに、なるほど贈賄者が賄賂の趣旨を否認しているような事案においては、収賄者の供述調書の取調もしくは収賄者の証人調が行なわれるのが一般的な取り扱いであると思われるのであるが、常に必ずしもこれをしなければならないものではなく、要はそれ以外の証拠によって罪となるべき事実を認めることができればよいのであるところ、これを本件についてみると、原判決の挙示する関係各証拠(但し、≪証拠省略≫は除く)によって原判示第一の事実が優に肯認できることは、後記弁護人毛利与一、同増井俊雄の控訴趣意第七点に対する説示のとおりであり、また、原審において弁護人から収賄者である脇田勝之を証人として申請した形跡も認められないのであって、原判決は所論の如き審理不尽の違法はなく、この点に関する論旨は理由がない。

控訴趣意中弁護人毛利与一、同増井俊雄の控訴趣意第五点訴訟手続の法令違反の論旨について。

所論は、原判決は、相被告人の起訴状に対する認否の冒頭意見としての陳述を証拠に引用しているが、相被告人の冒頭意見としての陳述に対しては、まだ何等反対尋問が許されていないのであるから、相被告人が何を述べても、その場合拱手傍観の外なく、したがってその意見が被告人に不利益な証拠となるとすれば、当該被告人にとっては全くもって切捨ご免の結果となる。よってこれを証拠として挙示した原判決は違法である、というのである。

よって案ずるに、原判決が、冒頭手続における被告人脇田の被告事件に対する陳述の記載である第三回公判調書中被告人脇田の陳述記載すなわち「収賄被告事件の公訴事実は間違いありません。但し、(一)の分(被告人堀田からの収賄に関する事実)は個人的に貰ったのではなく、林務課員全員に対する寄附として私が代表で受取ったものである。」を証拠として挙示していることは本件記録上明白である。しかして、被告人の冒頭手続における陳述は一般的にみて抽象的、概括的なものが多いうえ、被告人が十分な訴訟法的知識と判断のもとに認否しているか否かについて疑わしい場合もあるから、この陳述を証拠として採用するについては慎重な考慮を払う必要があるのであるが(原判決が右被告人脇田の陳述記載を証拠として引用しているのも、公訴事実中金員授受の趣旨を除いた外形的な事実に関する部分の自認として引用しているものと思われる)、被告人の冒頭陳述とともに、共同被告人の冒頭陳述が互に相被告人の証拠となることは多言を要しないところである。所論は、切捨ご免の結果となるというのであるが、その場で即時に詳細な反対尋問をなすことは許されないにしても、後日審理の進行とともに、相被告人に対する質問という形式なり、訴訟手続が分離されている場合には証人として尋問することが可能なのであるから、決して切捨ご免の結果となることはないのである。したがって、原判決には所論の如き訴訟手続の法令違反はなく、この点に関する論旨は理由がない。

控訴趣意中弁護人毛利与一、同増井俊雄の控訴趣意第六点訴訟手続の法令違反の論旨について。

所論は、原判決は分離した数個の被告事件を併合決定しないまま一個の判決をもって各有罪を言渡している違法がある、というのである。

よって案ずるに、本件記録によれば、第二〇の二回公判期日において被告人脇田、同実原に対する各収賄、詐欺被告事件と被告人堀田に対する贈賄被告事件と被告人中路に対する贈賄被告事件をそれぞれ分離し、それぞれ別個に審理した上弁論を終結し、第五二回公判期日において以上の各被告事件に対し一個の判決書をもって、それぞれ有罪の判決を宣告していることが明らかで、その間各被告事件の弁論を併合した事跡は全く窺われない。しかして、複数の被告人に対する判決は、右被告人等が併合審理されたような場合には通常一通の判決書が作成されるのであるが、かかる場合を除いては、各被告人ごとに複数の判決書が作成されるのが普通の取扱である。しかしながら、複数の被告人、とりわけ本件の如く被告人等が贈収賄罪のような必要的共犯(対立的犯罪)の各主体であるような場合には、判決書中に各被告人に関係する部分が十分に特定されており、ある部分がどの被告人に関するものであるかが明確にされている限り、これらの被告人に対する判決が一通の判決書をもって作成されたとしても何等違法および不相当とすべきでないと解するのが相当であって、原判決には所論の如き違法はなく、この点に関する論旨は理由がない。

控訴趣意中弁護人毛利与一、同増井俊雄の控訴趣意第七点事実誤認の論旨について。

所論は、要するに、原判決は、被告人堀田が相被告人脇田勝之に一五万円を交付した趣旨は「岸和田コンビナートの建設につき相被告人脇田を含む林務課員から種々好意ある取計いを受けたことおよび将来も便宜な取計いを受けたいという趣旨のもとに林務課員の上京費用の補助乃至遊興費として」と認定をしているが、真実は賄賂の授受でなく、預り金関係の設定すなわち本省吏員に対する接待費の預り金である。本件金員の授受そのものを贈収賄とみるのは事実誤認である。しいてこれを贈収賄とみるならばそれは本省官吏に対する接待を贈賄とみるべきであり、被告人と脇田はその贈賄の共犯となるにすぎない、というのである。

しかしながら、≪証拠省略≫を総合すれば、被告人堀田が相被告人脇田に一五万円を交付した趣旨につき原判示第一に記載どおりの事実を肯認することができる。

すなわち、前掲各証拠を総合すれば、まず、岸和田木材コンビナートが建設されることに関し、大阪府木材業組合連合会内に大阪木材港建設委員会が設置されるに至った経緯として、近年日本における木材需要は急速に増加の一途をたどり、従来のように内地材を主体とすることでは需要を満すことが不可能となり、外材輸入が大きな役割を占めるようになった。ところが輸入材の受入に対する港湾、貯木場等の施設は十分と言えない状態にあったが、大阪市大正区小林町にあった貯木場が大阪市の港湾計画等により埋立てられることになり、同市住吉区平林町に移転するのやむなきに至り、同所に貯木場等が建設されたものの、早晩適当な木材港、貯木場等を建設しなければ外材を処理することができない見通しであったため、大阪市内の木材業者等は大阪市および大阪府に右建設方について再三要望、陳情していた。かくして、昭和三七年四月ごろ大阪府は大阪府泉南郡忠岡町から岸和田市に至る海岸に木材港ならびに貯木場を建設することを決定し、大阪府農林部林務課においてこれらの計画立案を行なうことになった。そして、右林務課から大阪府木材業組合連合会に対しても右建設の早期実現のために協力するよう呼びかけられ、連合会としてももとより早急な実現を希望していたので、連合会内に大阪木材港建設委員会を設置することになったことが認められ、つぎに、右建設委員会の活動ならびに活動資金の調達について、昭和三七年六月ごろ建設委員会が設置されたが、右委員会の委員として各種木材組合等の代表一九名が選ばれ、委員長に被告人堀田彦次郎、副委員長に浅野寛外二名が就任した。ところで、木材港等の建設はいずれも大阪府の事業として行なうのであるが、木材港については二五億円の金が必要であるところ、政府から四割の国庫補助を受けることが可能であり、貯木場については五五億円の金が必要であるところ、そのうち四五億円を起債によって賄う予定であった。そこで前者については政府の補助事業として承認を受けるためには、当時既に実施中の港湾整備五ヵ年計画に途中から組み入れてもらわねばならず、そのため運輸省港湾局計画課に折衝する必要があり、また貯木場については起債の承認を大蔵省および自治省から受ける必要があった。このような情況から林務課においても右関係中央官庁と折衝を続けていたが、委員会としてもこれに協力するため、来阪した関係中央官庁の係官や右中央官庁の出先機関の係官に陳情すると共に、上京して中央官庁の関係係官に要望、陳情をすることになった。また、これと同時に木材港、貯木場の建設計画について木材業界の意向を反映さすため会合を開いて協議をしたり、林務課に意見ないし要望を述べたりしていた。しかして、右のような運動をすれば当然に或程度の費用の支出が必要となるため、昭和三七年七月ごろ開かれた建設委員会で運動資金について協議した結果、各委員がそれぞれ二〇万円を出資することとなり、これとその他の補助金、寄附金を合わせて約五〇〇万円余りの資金が調達され、右資金の支出について浅野寛が会計を担当することになったことが認められる。そして、さらに、右建設委員会から本件一五万円の金員を含め多額の金員が相被告人脇田ら林務課員に支出されていた情況として、昭和三七年七月に開かれた右委員会の席で、被告人堀田は林務課長をはじめ林務課員が上京して中央官庁の関係係官と折衝するに際しこれを接待したり、上京する際に飛行機を利用したり、相当のホテルに宿泊したりするとすれば同人等の出張旅費等のみでは不足するだろうとの考慮から「脇田等が上京するについては相当の費用も要することだから委員会の運動資金の中から使って貰ったらどうだろうか」と提案し、各委員の承諾を得て、後日その旨を相被告人脇田に伝えた。そして相被告人脇田は右申し入れに従って同年同月二五日ごろ会計担当の浅野寛から上京に伴う費用として一〇万円を受け取ったのを初めとして、昭和三八年一月一九日ごろまでの間に六回にわたり合計九〇万円余りをその都度浅野寛に要求して受け取った。しかして、右第一回目の一〇万円を渡した後開かれた委員会の席上、浅野から相被告人脇田に渡した一〇万円の使途について領収書等の書類に基づいて説明をしたところ、委員の中から「そのような説明は不要である。脇田等には自由に使って貰ったらよいだろう。」との意見が述べられ、他の委員から反対の意見がなく、委員長である被告人堀田もこれに賛成をした。そして右の提案は、相被告人脇田等林務課員が運動のため中央官庁の関係係官等を接待するために使うだけでなく、右林務課員等においても或程度自由に使って貰うには領収書等を出して使途をはっきりさせてはまずいことから述べられたものであることは明らかで、委員長はじめ各委員においても右の趣旨は十分に理解の上敢て反対をしなかったものであること。そして、昭和三八年一二月二六日ごろ相被告人脇田は浅野寛に電話して資金の支出を申し入れたところ、浅野寛が当時海外に出張中であったため、浅野寛の経営する浅野木材株式会社の社員であり、浅野寛の命令により実際に右建設委員会の会計事務を担当していた宮崎雍仁から「堀田委員長の承諾を得て貰い度い。」旨言われたため、再び電話で伏屋順造を介して被告人堀田に対して同様の申し入れをした。そこで、被告人堀田は右宮崎雍仁を呼び寄せて今迄の取扱について尋ねたところ、宮崎は「今までは浅野社長の命で脇田のところに要求して来た金額を銀行から引き出して私が持って行っている。そして脇田から使用した裏付となる請求書や領収書を受けとって来ているが、ここ一、二回は裏付け書類を受け取っていない。」と答えたので、被告人堀田は宮崎に対し「未だ裏付の書類の出ていない分については、その提出を求める必要があるので脇田に連絡をし、その上で出金することにする。」と伝え、翌日電話で被告人堀田は宮崎に対し「脇田から裏付の書類があると言ってきているが、今迄の分の外に一一万一五二六円の裏付も余分にあるらしいので持参するように。それから余分に一五万円ほしいと言っているからこれも合せて持参するように」と指示し、宮崎は右指示に基づき合計金二六万一五二六円を被告人脇田のところに持参し、同人から料理屋の請求書等を受領してきた。そして、被告人堀田としては、右金員の支出をした趣旨について前記建設委員会における協議の経過からも窺われるように、中央関係官庁の係官に対する接待等の運動資金にあてる外、被告人脇田等林務課員が職務上とはいえ直接木材業者等の利益につながる木材港等の建設について好意的かつ積極的に取り組んでいることに対するお礼および今後も引続いて同様に好意的かつ積極的に右建設に取り組んでもらいたいという気持から、被告人脇田等林務課員が上京する時の遊興費、宿泊費の補助として、あるいは慰労のための遊興飲食費としても使って差支えないとの考えに基づいてこれらの費用を包括してその使途の明細を指示せず、その使用を相被告人脇田の自由裁量に委ねる意図の下に支出を指示したことが認められ、したがって、その全額について相被告人脇田に対する贈賄罪が成立すると解するのが相当である。(なお、以上の各事実は浅野寛の前掲各供述調書を除外してもこれを認めることができる。)もっとも原判示第一の事実によれば「林務課員から種々好意ある取計いを受けたことおよび将来も便宜な取計いを受けたいという趣旨のもとに」と判示されているが、右は「好意ある取計いを受けたことに対する謝礼および将来も便宜な取計いを受けたいという要望の趣旨の下に」という意味であることは明らかである。しかして、以上認定にかかる事実に反する被告人堀田の原審公判廷における供述中一五万円の金を供与した趣旨に関する部分、当審証人楢崎伝蔵の供述中建設委員から相被告人脇田に供与した金員の趣旨に関する部分は、前掲各証拠なかんずく前示認定にかかる建設委員会における資金の使用に関する協議の経過に徴し、にわかに措信することができない。

ところで、所論によれば、原判示第一の事実に「種々好意ある取計いを受け」と認定しているが、その好意ある取計いとは相被告人脇田等が本省係官の種々の好意ある取計いを取りつけるために努力したことのみであって種々好意ある取計いではないと主張するのであるが、木材港等の建設は大阪府の事業として行なわれているのであるけれども、その結果は直接木材業者等の利益につらなるものであるから、相被告人脇田等林務課員においてその早期完成に種々努力していることは、被告人堀田を始め木材業者にとって種々好意ある取計いに該当し、さらに右建設は大阪府の事業としてなされるものであるから当然にその計画立案は林務課において作成されることになるが、その計画に木材業界の意向を反映させるよう林務課と折衝することも建設委員会としての仕事であり、折衝の結果その計画に右意向を種々とり入れてもらったことが前掲各証拠によって認められ、右は種々好意ある取計いに外ならず、所論は理由がない。

つぎに、所論によれば、浅野寛から相被件人脇田に手交された金員については、いずれも相被告人脇田から請求書あるいは領収書等を受けとっており、被告人堀田も本件一五万円を交付するに際して、従来手交した金員について請求書あるいは領収書の未受領の分についてそれらの提出を求めているのであって、このことからも右各金員の授受は贈賄の供与でなく、本省吏員に対する接待費の預り金関係の設定に過ぎないと主張するので検討するに、前掲各証拠によれば、浅野寛から相被告人脇田に交付された金員のうち昭和三七年七月から同年一〇月までに交付された五〇万円については、同年一二月ごろまでに料理屋、バー等の請求書あるいは領収書が提出されていたこと、および同年一二月ごろから昭和三八年一二月二六日までに交付された金員については、本件の一五万円を除く四一万一五二六円については、同年同月同日前同様の請求書あるいは領収書が提出されたことが認められるのであるが、しかしながら、右請求書および領収書等は、いずれも西本嗣が検挙された際にその発覚をおそれて浅野寛が自宅に持帰って焼却したことが、≪証拠省略≫によって認められ、その内容を正確に知るすべはないのであるが、≪証拠省略≫および前示認定にかかる建設委員会の資金の使用に関する協議の経過をあわせ考察すると、請求書および領収書等はそのほとんど全部がいずれも料理屋あるいはバーのものであって、その中には大阪市内のものも相当に含まれており、かつ、その提出も相当おくれ次回の金員の授受の際に行なわれていたものであるが、浅野寛がそのような書類を相被告人脇田に提出するように申し入れ、その結果これらを受領していた趣旨は、相被告人脇田に交付した金員は、同人等が中央官庁の関係係官の接待にあてられることが主眼であったけれども、その外に同人等が上京する際の旅費、宿泊費の補助に使ったり、さらには同人等が慰労のために遊興飲食する費用にもあてられることも差支えなく、別に使途を限定せず、その使用を相被告人脇田の自由裁量に委したものであるが、浅野寛としては、それらの金は個人のものでなく建設委員会の金であるところから、会計を担当する者としての責任上、一応、その内容の真偽は別として、収支だけは明確にしておかないと、後日右金員の使途について疑われても迷惑であるとの考えによるもので、浅野寛は宮崎雍仁に対しても帳簿の整理に関して帳尻だけあえばよいという指示をしていたことが認められ、被告人堀田が本件一五万円を交付するに際して、相被告人脇田に請求書あるいは領収書の提出を申し入れた趣旨も、未提出の分というのが約一年近く前の昭和三八年一月一九日および昭和三七年一二月一一日に交付した金員に関するものであること、および前示建設委員会における協議の経過に徴すると、浅野寛と同様の考えによるものか、あるいはそれに加えて、≪証拠省略≫によって認められる如く、当時被告人堀田は相被告人脇田や辻本林務課長が相当派手に遊び廻っていることを耳にしており、また、建設委員会からの資金の交付も既にかなり多額に及んでいるところから、将来の金の支出を制限したいという意図のもとになされたものと認めるのが相当であって、所論のように請求書等の授受があったからといって、本件金員の授受が預り金関係の設定であるとすることはできず、この点に関する所論は失当である。

さらに、所論は、本件金員の授受の趣旨は、浅野寛が既になしていた金員の授受の趣旨と同一であると主張し、被告人堀田の司法警察員に対する昭和三九年八月一日付供述調書および検察官に対する供述調書中右主張に反する部分の供述の信憑性を争うのであるが、この点については前示認定のとおり金員授受の趣旨について両者に差異を認めず、原判決の判示もこれと同趣旨であると認められるので、改めてその内容について触れないこととする。

その他、所論にかんがみ記録を精査しても、原判決に所論のような事実誤認があるものとは認められず、この点に関する論旨は理由がない。

控訴趣意中弁護人毛利与一、同増井俊雄の控訴趣意第八点訴訟手続の法令違反の論旨について。

所論は、要するに、検察官の陳述した冒頭陳述要旨の第二の四によれば、相被告人脇田が他の林務課員等と個人的な遊興に耽り、昭和三八年一二月ごろ大阪市内のクラブ、バー等に約一五万円の未払金があったところから、被告人堀田に東京での出費一一万円余りとは別に一五万円を貰いたいと要求した、とされているが、右約一五万円の未払金があったことを被告人堀田が知っていたわけはなく、それについて何等の証拠もない。さらに東京での出費一一万余円とは別に一五万円を貰いたいという別の一五万円について何の証明もない。してみると、右冒頭陳述は、証拠なくして、裁判所に事件につき偏見又は予断を生ぜしめる虞のある事項を述べたものであり、刑事訴訟法第二九六条に違反するのであるが、これに対し原審は検察官に対して冒頭陳述に掲げられた事実について立証を促がし、もし検察官が立証できないのであれば、その訂正を命じ、訂正された冒頭陳述につき有罪を認定しなければならないのに、漫然これを放置し、冒頭陳述の事実によらず、大雑把なところで有罪判決をしているが、右は判決に影響を及ぼすことが明かな訴訟手続の違背を犯したものである、というのである。

よって案ずるに、本件記録によれば、検察官の冒頭陳述が所論のような事実についてなされていることが明らかであるが、さらに、これらの事実中相被告人脇田等が大阪市内のクラブ、バー等に約一五万円の未払金があったとの点についてはこれに照応する内容の小林正子、安藤加寿子、川上恭子の前掲各供述調書を証拠として申請していること(これに対する証拠採用決定および取調のなかったことは既に述べたとおりである。)、被告人堀田に別に一五万円を貰いたいと要求している点についてはこれに照応する内容の宮崎雍仁、被告人堀田の前掲各供述調書を証拠として申請していることが認められるのであって、検察官が証拠なくして裁判所に事件につき偏見又は予断を生ぜしめる虞のある事項を冒頭陳述において述べたとなすことはできない。したがって前提を欠くその余の所論は爾余の点について判断するまでもなく失当である。なお所論は、裁判所は冒頭陳述に示された事実についてのみ有罪の認定をしなければならないというのであるが、常に必ずしも裁判所は冒頭陳述に示された事実と同一でなければ有罪の認定が許されないものではなく、起訴状記載の公訴事実に示された訴因と同一性を失わない限り、仮りに冒頭陳述と異なる事実であっても(通常は余り異ることはないのであるが)罪となるべき事実として認定することが許されるものと解すべきであって、所論は採用することができない。結局この点に関する論旨は理由がない。

控訴趣意中弁護人幸節静彦の量刑不当の論旨について。

よって、所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取調の結果をも参酌して案ずるに、被告人脇田勝之の本件収賄、詐欺の各犯行は、大阪木材港ならびに貯木場、いわゆる岸和田木材コンビナート、の建設のため中央官庁の関係係官等に対する接待費の捻出ということも含まれているが、他方被告人脇田をはじめ林務課員等が遊興に耽り、そのため遊興飲食費の支払に窺した結果敢行されたものであって、その動機、原因において、酌量すべき余地は少なく、各犯行の罪質、態様に徴するとともに、汚職追放は現下国民の最も期待する緊急事であることを考えあわせると、被告人の刑責は重大であるといわねばならず、被告人脇田が前記木材コンビナートの建設ならびに林務行政について果した功績、その他記録に現われた同被告人に有利な事情を酌量しても、被告人脇田を懲役一〇月、三年間刑の執行猶予に処した原判決の科刑が不当に重過ぎるとは考えられず、右論旨は理由がない。

つぎに、職権をもって被告人堀田彦次郎に対する量刑について案ずるに、同被告人の本件贈賄の犯行ならびに犯行に至るまでの経緯は、既に弁護人毛利与一、同増井俊雄の控訴趣意第七点に対する説示において認定したとおりであるが、その罪質、態様、さらに被告人堀田は本件の検挙前犯行の発覚を防ぐため関係者と謀議し、綿密に罪証のいん滅を計っていることならびに汚職の追放は現下国民の最も期待する重大関心事であること等に徴すると、木材港建設委員会の委員長という最も責任ある地位にあって、いわゆる岸和田木材コンビナートの建設に関し木材業界を代表する立場にあった同被告人の刑責は決して軽いものであると言うことはできない。しかしながら、ひるがえって被告人に有利な情状について検討するに、同被告人が木材港建設委員会の委員長に就任したのは、同被告人が欠席の委員会において各委員の衆望により委員長に推せんされ、同被告人はこれを知って当初これを固辞したけれども遂に断りきれず受任するに至ったものであること、本件一五万円の金員を相被告人脇田に供与するに至ったのは、偶々委員会の会計を担当していた浅野寛が海外旅行中で不在のため、やむなく委員長である被告人が、既に委員会において決定されていた方針に則って支出の指示をしたものであること、したがって、右金員を供与した趣旨は、既に浅野寛において同委員会の方針に則って相被告人脇田に多額の金員を供与していた趣旨と格別異なったものではないこと、当時他の者が委員長の立場にあったとしても、相被告人脇田からの申し入れを拒否することは事実上困難な状況にあったこと、さらに、相被告人脇田に対し多額の金員を数回にわたって供与した浅野寛は右事実について不起訴処分に付されていることが認められ、以上の諸事情を考量すると、被告人堀田に対しては所定刑中罰金刑をもって処断するのが相当であると思料され、したがって同被告人を懲役三月、一年間右刑の執行猶予に処した原判決の科刑はいささか重きに過ぎ、これを維持することは相当でない。

よって、被告人脇田に対しては控訴はいずれもその理由がなく刑事訴訟法三九六条に則って本件控訴を棄却することとし、被告人堀田に対しては刑事訴訟法三九七条一項、三八一条に則って原判決を破棄した上、同法四〇〇条但し書に則って直ちに判決をすることとし、原判示事実に刑法一九八条一項、一九七条一項前段、罰金等臨時措置法三条一項一号(所定刑中罰金刑を選択)、刑法一八条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 本間末吉 裁判官 松井薫 浜田武律)

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